ア 事例

X株式会社は、高価な輸入食器等を販売する会社です。従業員Yは、たびたび、商品である食器を破損させたため、次回、破損した場合は、1部自己負担をしてもらうということになっていましたが、Yは、また、●●●万円もの商品を破損させてしまったことから、その3割の××万円を負担することになりました。

しかし、とても、一括での支払いができないことから、毎月給料より、△万円を天引きすることになりましたが、このことについては、何らの書面も作成しませんでした。

しかし、支払いの途中で、Yが退職しました。

Xは、Yに対し、残額の支払いを求めましたが、Yは、XによるYの給与は労働基準法24条1項本文「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」に違反しているとし、今まで支払った金額の返還を求めて来ました。

Xが労働基準監督署にその旨相談したところ、労働基準監督署からもXに対し、労働基準法24条1項本文に違反している旨、言われました。

イ 解説

(ア) 契約と法律の関係
契約は、当事者間の意思の合致により成立しますが(契約自由の原則)、どのような内容でも自由に決められるわけではありません。

法律、判例で禁止された内容を、契約の内容としても、効力をもちません。しかし、法律に書かれた内容に全て従わなければならないわけではありません。

(イ) 強行規定と任意規定
民法91条は、「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。」と定めています。

公の秩序に関しない規定を「任意規定(にんいきてい)」、公の秩序に関する規定を「強行規定(きょうこうきてい)」といいます。

民法91条は、任意規定と異なった内容の契約(契約は法律行為の一種です)でも有効であることを規定しています。この逆に、強行規定については、これと異なる内容の契約を締結しても、その効力が発生しないと定めているのです。

強行規定が含まれる法律として、わかりやすいものとしては、借地借家法、利息制限法等の法律があります。

どちらも、賃借人、(お金の)借り主が、賃貸人、(お金の)貸し主よりも、弱者であるとの前提のもと、いくつかの事項については、たとえ、賃貸人と賃借人、お金の借り主が貸し主と契約をしたとしても、法律と異なる事項は効力を生じない(無効)という規定を置いています。

例えば、借地借家法 第21条は、借地契約について、「第17条から第19条までの規定に反する特約で借地権者又は転借地権者に不利なものは、無効とする。」と定めていますし、借家契約については、第30条で、「この節の規定に反する特約で建物の賃借人に不利なものは、無効とする。」としています。

そこで、例えば、アパートの賃貸借契約などで、20●●年●●月●●日までに、そのアパートを明け渡すと期限が決めてあっても、賃借人が賃料をきちんと支払っている場合は、仮にその期限が来ても、正当な事由がない限り、賃貸人は明け渡しを請求することはできません(正確には、明け渡しを通知することはできますが、相手方が明け渡さない場合、裁判を行っても、相手方を強制的に明け渡させることはできないということです)。

これは、借地借家法第28条に、「建物の賃貸人による第26条第1項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。 」と定められているからです。

また、利息制限法1条は、
「金銭を目的とする消費貸借における利息の契約は、その利息が次の各号に掲げる場合に応じ当該各号に定める利率により計算した金額を超えるときは、その超過部分について、無効とする。
1  元本の額が10万円未満の場合 年2割
2  元本の額が10万円以上100万円未満の場合 年1割8分
3  元本の額が100万円以上の場合 年1割5分」
と定めています。

したがって、100万円を年2割の利息で貸すという契約を締結したとしても、5分の利息分の契約は無効となります。

ウ 事例2の解説

(ア) 本件で問題となる法律
事例2と関わってくる法律は、労働基準法24条1項本文ですが、この法律は、「賃金は、①「通貨」で、②「直接」労働者に、その③「全額」を支払わなければならない。」と定めています。

この規定は、強行法規(きょうこうほうき)とされており、この規定に反する内容で、雇用者と雇用主が契約を締結しても、その内容は無効となります。

事例2で、問題となるのは、このうち、③の「全額支払いの原則」と言われるもの、すなわち、「賃金は、原則としてその全額を支払わなければならない」とされている原則です。

この「全額支払いの原則」の例外として、この24条1項本文但書は、たとえば、「法令の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。」としています。

しかし、労働組合と使用者(雇用主)間の協定に基づいて、使用者が組合員である労働者の賃金から組合費を控除して(つまり、全額支払わないで)、それらを一括して組合に引き渡すいわゆる「チェック・オフ規定」の場合であっても、前記の但書の要件、つまり、「当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合」でなければ、違法であるとする最高裁の判決があります(済生会中央病院救済命令取消事件:最高裁平成元年12月11日 民集43巻12号1786号)。

このように、「全額支払いの原則」は、例外の認められづらい原則なのです。

本件は、「毎月給料より、△万円を天引きすることになった。」という点が、前記の「全額払いの原則」に違反するとして、労働基準監督署の指摘を受けたという事案です。

訴訟としては、天引き分の返還を求める訴訟も考えられます。労働者がこの訴訟を提起したとしても、労働者が使用者(雇用主)に損害賠償義務を負担する場合、それが免除されるわけではありません。

しかし、最高裁判所の判決(最高裁昭和31年11月2日判決民集10巻11号1413頁)は、使用者が、労働者に対して有する損害賠償請求権を自動債権とし、労働者の賃金債権を受動債権として相殺することは、労働基準法24条1項本文の定める賃金全額払いの原則に反し許されないとされています。したがって、使用者は、相殺を主張して、支払いを免れることはできません。

そこで使用者(雇用主)は、まず、天引きしていた分の給与を支払い、それから、損害賠償分を支払ってもらうことになりますが、通常、労働者がどこに貯金している等はわかりませんので、損害賠償分は支払いを受けられない可能性が大きいことになります。

(イ) 本事例の回答
では、この場合はどのようにすればよかったのでしょうか。

最高裁の判決は、使用者(雇用主)からの一方的な意思表示による相殺ではなく、使用者と労働者の合意による相殺の有効性については、労働者の自由な意思に基づいて行われたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するときは全額払いの原告に違反しないとしています(最高裁平成2年11月26日判決民集44巻8号1085頁)。

したがって、月々の分割払いについて、相殺の合意として、自由な意思に基づいて行われたという客観的な証拠が残る形で、書面化すればよかったことになります。もちろん、いうほど簡単なわけではありません。

また、労働者が途中で辞めた場合に退職金で支払うと言う内容を定める場合も、退職金も、就業規則にその支払条件が予め明確に規定され、使用者が当然にその支払義務を負うものであるときは、労働基準法11条にいう労働の対償として賃金にあたるとされていることから(最高裁昭和48年1月19日判決民集27巻1号27頁)、同様に、条件(途中で退職の場合)付きで相殺として、書面化することが必要と考えられます。

(ウ) 注意-労働者の負担について
業務上の作業等において労働者の過失により、使用者である会社等が損害を被った場合であっても、使用者である会社等は、労働者に全額の損害を請求できるわけではないとされています。

たとえば、労働者が交通事故を起こして会社が第三者に損害賠償をした結果、労働者に対し求償権を請求した訴訟において、最高裁の判決(最高裁昭和51年7月8日民集30巻7号689頁)は、「使用者が業務上車両を多数保有しながら対物賠償責任保険及び車両保険に加入せず、また、右事故は被用者が特命により臨時的に乗務中生じたものであり、被用者の勤務成績は普通以上である等判示の事実関係のもとでは、使用者は、信義則上、右損害のうち4分の1を限度として、被用者に対し、賠償及び求償を請求しうるにすぎない。」としています。

労働者の責任はどの程度に制限されるかについては、この最高裁の判例を踏まえ、例えば、「責任制限の基準は、①労働者の帰責性(故意・過失の有無・程度)、②労働者の地位・職務内容・労働条件、③損害発生に対する使用者の寄与度(指示内容の適否、保険加入による事故予防・リスク分散の有無等)に求められる」(菅野和夫著「労働法 第9版」84頁)等言われています。

これだけの基準では明確な金額の算定はできませんが、少なくとも、労働者の過失による損害について、全額を労働者に負担させることは、法律上の紛争を招くことになります。

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